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ひとり美術館ハシゴ【28】 [*アート鑑賞]

11月7日(水)は、
府中市美術館損保ジャパン東郷青児美術館に行って来ました。

府中市美術館「ポール・デルヴォー」展を観る
ぐるっとパスを利用)
 ↓
*美術館前から「ちゅうバス」で府中駅前まで移動。
 京王線で新宿まで移動。
 ↓
損保ジャパン東郷青児美術館「ジェームズ・アンソール」展を観る
ぐるっとパスを利用)

…と、今回はこんな感じの流れで2館の展覧会を回りました。


 府中市美術館 
「ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅」

ポール・デルヴォーチラシ_01.jpg

ポール・デルヴォーチラシ_02.jpg

府中市美術館_01.jpg

府中市美術館_02.jpg

府中市美術館_03.jpg

府中はちょっと遠いけど、
ずっと前からこの企画展楽しみにしてたから長い移動も全然苦にならず♪
前回(2010年10月29日/バルビゾンからの贈りもの)は東府中駅から徒歩で行ったけど、
今回はJR中央線・武蔵小金井駅からバス(一本木経由・京王線府中駅行き)を利用。
「一本木」バス停で下車したら、府中市美術館へは徒歩ですぐ着きます。

ベルギーのシュルレアリスム絵画を代表する画家ポール・デルヴォー(1897〜1994)。
2009年秋にBunkamura ザ・ミュージアムで観た
「ベルギー幻想美術館」展で初めて知って以来のファンです。
日本ではおよそ10年ぶりの回顧展、
そして出品作約80点のうち半数以上が日本初公開であるとのこと。

今回の企画展では、
シュルレアリスム時代の代表作をはじめ、
これまでほとんど紹介されることのなかった最初期の油彩画やデッサン、
制作に用いたモチーフ(手鏡・オイルランプ・模型の汽車)も展示されています。

時間も場所もわからない不思議な空間。
沈んだ色合いとともに広がる静かでどこか冷たい世界。
お互いに無関心なように見えるうつろな瞳の女性たち。

デルヴォーの作品には、
電車、神殿、ランプ、骸骨、女性など同じモチーフが繰り返し描かれていますが、
これらは、例えば「駅長になる」という夢を持つほど電車好きだった幼い頃、
あるいは、教室で骨格標本を見て衝撃を受けたという少年時代の思い出など、
画家本人の個人的な体験や日常生活への強い結びつきから生まれたものだそうで。
身の回りのありふれた物を糸口にして、
超現実世界へと繋がる扉を開こうとしたデルヴォーの魅力に
こうして再び触れることができて嬉しい。
早起きして行った甲斐があるというものです。

中でも特に強く惹かれた作品は…
「《レースの行列》(1936年)に基づく舞台背景の習作」(1960年)
「トンネル」(1978年)
「エペソスの集いII」(1973年)
「夜の使者」(1980年)

割と空いてたおかげでゆったり鑑賞できたなー。
デルヴォーはやっぱり静かに落ち着いて観たいもんね。
この後、常設展も鑑賞。
良い感じのテンションのまま次は新宿のアンソール展へ!

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 損保ジャパン東郷青児美術館 
「アントワープ王立美術館所蔵
ジェームズ・アンソール — 写実と幻想の系譜 —」

ジェームズ・アンソールチラシ.jpg

損保ジャパン東郷青児美術館.jpg

府中市美術館前から「ちゅうバス」(運賃100円)で府中駅に移動。
京王線で新宿へ。

ジェームズ・アンソール(1860〜1949)は、ベルギー近代美術を代表する画家のひとりです。
仮面や骸骨など、グロテスクなモティーフを用いながら人間の心の奥底に潜む感情を独創的に表現し、
シュルレアリスムや表現主義など、後の絵画運動に影響をあたえました。

本展覧会は世界で最も多くアンソールの作品を所蔵するアントワープ王立美術館のコレクションより、
素描を含む約50点のアンソール作品をフランドルや同時代の画家の作品と共に展示し、
アンソールの芸術を生み出した写実と幻想の系譜をたどります。
(「ジェームズ・アンソール」チラシの紹介テキストより抜粋)

同じくベルギー近代美術を代表する画家マグリットデルヴォーもそうだけど、
アンソールの絵にも、
どこか虚ろですぐそばに「死」が佇んでいるような終末感めいたものを感じます。
でも、マグリットデルヴォーの絵とはまた異なる独創的筆致と色使いは強烈で、
「怖いんだけどもう一回観たくなる」不思議な魅力のひとつにもなっています。
人物の顔は仮面や骸骨で隠されているけど、
表情が隠れてるとかえって自分自身の愚かさ弱さを嘲笑われているような。
こちらの見えないところから覗き込まれて「あんたの本性なんかとっくに見え透いてるよ」
とか絵の向こうで思われてるんだろーな(苦笑)

中でも特に印象的だったのは、
「首吊り死体を奪い合う骸骨たち」(1891年)、「悲しみの人」(1891年)、
そしてポスターやチラシのメイン絵画にもなっている「陰謀」(1890年)。

手持ちの本(河村錠一郎「世紀末美術の楽しみ方」〈新潮社〉)によると、
彼の友人でもあった詩人ヴェラーレンの貴重な証言の中に
『彼は生涯のほとんどをオステンドで過ごした。
彼はその町で、地方都市の終わることのない、埋もれてしまいそうな倦怠を、
死体に積もる塵のように彼の魂に降り注ぐ倦怠を味わった。
冷笑と憎悪を、悪口と嘲笑を経験した。
家族の反対、避けがたい無理解、絶望的孤独に出会った。
陰鬱で単調な灰色の日々が延々と続き暗黒の時を彼は過ごした。
珍しい貴重な樹の木目のように繊細な彼の感受性は、無知な人々に鉋(かんな)で削り取られた。
彼は押し潰された思い、傷つけられた、打ち砕かれた思いをした』
という記述があるそうです。
「首吊り死体を奪い合う骸骨たち」の死体は画家アンソール
骸骨(死神)たちは無理解な世間や批評家たちなのか、
それとも古いヨーロッパ社会を絞め殺し、その死体を奪い合う死神たちは
攻撃的なアンソールの執念の化身なのだろうか。』
…とありますが、そういったくだりを反芻しながら改めてこの絵を観るとズキッときます。

アンソール作品以外では、
アルフレッド・ステヴァンス「絶望的な女」(1875〜1880年)も良かった。
手紙を読み終わったばかりの若い女性が描かれているんだけど、
内容に絶望しているかのような表情に引きつけられました。
んで、帰宅して「アルフレッド・ステヴァンス」で画像ググッてみると、
他の絵も好みストライクな感じで更に興味がわいてきた。
この方の絵、他にももっと観てみたいなあ。

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